サシ飲みしたらその時は

父が危ないということで、病院から面会制限なしの報せを受けた。
諸々の作業を切り上げ、数時間後の航空券を予約し、宇部へ。
この2ヶ月、月の半分は面会に行って弱っていく父を見てきたし、散々医者からも「非常に厳しい(=ほぼ助からないという意味らしい)」と言われてきた、が、正直なところ全く父が死ぬとは思えない。
ここまできてもまだ、そうは思えないのはなんでだろう。
単純に未体験の事柄を覚悟することなんてできないのかもしれない。
そんな悪いことは自分には起きないという、正常性バイアスみたいな心理かもしれない。
少年時代に音楽でTVスターになることを欠片も疑わなかったあのピュアさのようなものかもしれない。
今、全然スターじゃないけど、音楽をずっと楽しく続けていられるのはあの頃の真っ直ぐでピュアな思いがあったからだと思う。
いかなる逆境においても、強くポジティブに向かう心は決して無為にはならないと、信じたい。
叔父から
「奇跡って言葉は、奇跡が起き続けてきたから今も残ってる。奇跡は起きるよ」
という言葉をもらった。(叔父かっこよすぎんか?)
最後まで奇跡を信じる。
ただ、父が旅立っていくのなら、それを見送る心を持っていようと最近は思ってる。
このふたつは不思議と心の中で喧嘩しない。
自分が死にそうだと分かったら、父はなんて言うだろう。
今意識があったら、父はなんて言うだろう。
「残念やし、すごい怖いけど、まぁ、仕方ない。人間、死ぬ時は死ぬよ。大介、わりぃけどお母さんを頼むな」
そんな風にあくまで周りにはサバっと振る舞うのではないか。
自身の中にどんな葛藤があるかは表に出さず。
母と話せば話すほど、父がいかに自分たち子供のことを大切に思ってくれていたかを実感したし、父と話す度に、いかに母が父にとってかけがえのない存在かということを実感していた。
言葉も少なく態度にもあんまり出さないが、父はとても家族を愛しているのだな。
この2ヶ月、父とはたくさん話した。
小さい頃以来、大きな手をギュッと握って。
大好きだよ、も、愛してる、も、世界一のお父さんだよ、もたくさん伝えてきた。
本当は意識がある時に伝えたいが、いざ意識が戻ったらとてもじゃないが面と向かっては言えない。
ある意味、寝ててくれて良かったし、もし起きても忘れていてほしい。
もし起きるのならその時は、年に一度はサシ飲みに連れてってくれと言うつもりだ。
年末、家で二人で飲もうと思ったけど、父は録り溜めた2時間ドラマを無表情で延々と見ていて、こいつは家から連れ出さないと話もできない、と考えを改めたところだった。
サシ飲みに行ったら父の金で高いお酒バカスカ頼んで、二人ともベロンベロンになった頃に父が大好きだと伝えよう。
ああ、まだお別れしたくないなぁ。
誰かとしばらく話してないと、その人の声を忘れるということに気付いた。
顔は写真があるけど、声って残そうと思わないと残ってない。
花粉症でくしゃみをする度、父のくしゃみを思う。
父のくしゃみはめちゃくちゃ豪快で、子供の頃、何であんなにやかましく、怒り叫ぶようなくしゃみをするのか、自分は絶対そうはならないぞ、と思った、あのくしゃみが今、我が口から出ている。


