(だからこそ)友達と会うべき
「友達と会う」ということを後回しにしがちである。
今まさに迫っている仕事やタスクを優先して、
将来確実に自身の糧になることに時間もお金も投資したい。
別に友達との関係は意味がないとか全く思っていないけど、
体力も時間もお金も限りがあって、
目の前のタスクこなすだけで1日の終わりはいつもヘトヘトで、
と、日々に翻弄されていると
「いつか会おうね」はあっという間にどっかに行っちゃう。
それでも、それは百も承知でも「(無理くりでも時間を作って)友達と会う」は実践した方が良い。
と、友達と会う度に実感する。
言うに及ばず仕事は人生において重要だ。
仕事がもたらす社会へのコミットも、仕事における自分の役割も、関係者との繋がりや絆も重要だ。
もちろん報酬も重要だし、何より「自分が誰かや何かにとって重要である」と感じられるのは人生においてかけがえのない充実だ。
だからこそ、だからこそだ、
友達とは会うべきなのだ。
仕事や社会にどっぷり浸かるほど、充実するほど、生活は「誰かや何かに役に立っている自分」で満たされていく。
悪く言うと「利害関係ばかりが人生の中心になっていく」状態になってしまう。
役に立てば祭り上げられ、役に立たなければいずれ切られるのが社会の宿命。
充実した毎日はいつのまにか自分を「誰かや何かにとって重要な人物」へと押し上げ染め上げていく。
その裏側で実は疲弊していたり、心をすり減らしていても、
自分を認めてくれる人たちはいつだって「自分の仕事」を信頼してくれて、
それがまた自分の鎧を強靭にし、反面、疲弊した中身を分厚く覆い隠す。
徐々に自分を蝕むそれに、自身は気付けなかったりする。
先日、友人と遊んだ。
遊ぶ約束をした時は嬉しかったが、
約束の日が近づくにつれてなんだか心が追い詰められた。
「遊んでる場合か?」
「他にやるべきことがあるんじゃないか?」
「今日遊びに行って何を得られるんだ?」
当日までそれは膨れ上がり続け、モヤモヤしながら約束の場所に向かった。
が、会ってちょっと話したらそれら全てのモヤモヤは跡形もなく消し飛んだ。
「ああやっぱこの人好きだな」だけがそこにあった。
そうだ、それが友達であった。
詰まるところ、
「遊んでる場合か?」
「他にやるべきことがあるんじゃないか?」
「今日遊びに行って何を得られるんだ?」
これが浮かんでいる時点で自分はわりと参っていたのだと気付かされた。
息もつかずに走っていたこと、意外とグロッキー寸前であったこと。
利害関係が全くない「ただの友達」はそこから自分を解き放ってくれる存在なのだ。
誰かや何かの役に立ってても、立てなくても、
社会の重要な存在であっても、なくても、
ハッピーな時も、どん底な時も、
金があっても、なくても、
友達はずっと友達だったし、
私はずっと私。
その日は、4時間ほど延々と恋バナをしていた。
10歩歩けば忘れるような薄い内容を爆笑しながら二人で喋り続けた。
帰りながら「会えてよかったありがとう」とLINEで打ちかけ、照れくさくてやめた。
雨上がりの空が清々しかったのを、よく覚えている。



