もしゃる

ここ3ヶ月ほど毎朝「好きな文章の模写」という習慣を続けている。
長文の上達のための対策だったのだけどなかなか効果てきめんで、僕の文章は着実に長くなっている。

長文というのはその人の思考そのものなのだと思う。日記やエッセイのようなノンフィクションでも、小説のようなフィクションでも、その人の論理の組み立て、頭の中身、考え方の癖などがそのまま出る。模写をしていて一番面白いのはそこだ。筆者の考え方をなぞりシンクロし、ともにその文章を書き綴る気分になる。日常で出会うものに対し何を思うか、なぜそう思うのか、それをどう説明表現するのか、誰に何を伝えたくてそうするのか、思考の流れごとなんとなく追体験できる。いくつも模写しているとその筆者と同じような思考が自分にもできるようになり、結果、文章が似てくる。さらに慣れてくると応用も効くようになり、徐々に「似て非なるもの=オリジナル」となっていく。

長文が苦手になっていると気付いた頃、なんとも言えないストレスや行き詰まりを感じていた。自分は文章でどうにかなろうと思っている人間じゃないし特に実害はないはずなのに、だ。そのストレスをよくよく掘り下げると「論理的な思考・表現能力低下」と「アウトプットの不足」が浮かび上がった。

場当たり的な屁理屈は絶望的に上手くなってしまったが、本音や心から思っている or 伝えたいことを、他人にわかりやすく伝えるという能力がすっぽり抜け落ちていた。僕は「自分の考えや悩みを人に話していると、頭が整理できて新しいアイデアや解決策も思いつく」というところがあって、それが思うようにできないことが実はかなりのストレスだということに気づいた。

多くの人に味のいい建前を届けることより、
ごく少人数にでも、
最悪自分自身だけ(ブログとか)にでも構わないから、
いびつな本音のアウトプットが自分には必要

ということで、模写。

写真は今模写している本。昔から好きな乙一さんのエッセイ。
先日これを近所のカフェで模写していたら、後ろからジーッとみている女性に気付いた。
え、なに、こわいと思って「うお、え、なんですか?」と尋ねる。
よく見ればショートヘアが似合うかなり綺麗なお姉さんだ。

「あ、いや、あの、この乙一さんって懐かしいなと思って…読んでる人初めて見ました」とお姉さん。

「あ、そうなんですか…僕、昔から好きで。今もたまに読むんですよ」

「へぇ〜〜〜!いや、なんか、嬉しくなっちゃって…じっと見つめてすみません」

「いや、こちらこそ嬉しいです。よかったらここ(隣の席)座られますか?」

「あ、いえ、お邪魔しちゃ悪いので。ありがとうございました」

「そうですか、では、良い一日を」

あれから毎日僕は同じ席で、乙一さんの本を傍に置いて、また彼女が現れてくれるのを待っている。
また会えたらどんな話をしようかと思考を巡らせる。
綺麗な人の顔は覚えるのが苦手だが、彼女のつけていた香水の香りは鼻に刻まれている。
次に嗅いだら間違えることはないだろう。

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