たった一度の人生さ

需要があるものをやるのがビジネスの鉄則で、資本主義において需要がないものというのは軽視され淘汰されてしまう。
いかに素晴らしいものも、人から求められていなければ意味のない無価値なものに成り果てる。
少なくとも自分はそういう世界観で生きてきた。
だから、自分の作品で需要を生み出すんだ!
それができなければ自分には価値がないんだ!
と躍起になっていた。

今は少し見方が変わった気がする。
「需要があるものをやる」のがビジネスなら「需要がなくてもやる」のがアートなのだと思う。
アート=やりたいことをやりたいように表現することと仮定してだ。
もちろん、需要のあるアートは素晴らしい、アートで生活できれば最高だ。
でも、思い返してみればさ、僕らは「誰かに求められたから」アートを始めたわけではないのだ。
誰かしら何かしらに心を撃ち抜かれて、居ても立っても居られずにギターを手に取った、少なくとも自分はそうだ。

テレビの中でスポットライトに照らされ満場の拍手喝采を浴びる自分を夢見たが、それは目的ではなく理想だ。
目的はあくまでも「やりたいことをやる」であって、それはギターを手に取って歌った瞬間に達成している。
その上で僕らは、理想を追いかけているだけなのだ。

理想を追うのを諦める時、アーティストたちは皆「辞める」という。
アートに「辞める」という概念はないという派閥があるが、自分も「辞める」という言葉には常々違和感があった。
スターになるのを諦めたって、歌は歌えばいいじゃん、あんたどうせ歌うんだろ?とか思ったりする。
僕は彼が彼女が、歌が大好きで、キラキラした目で音楽を奏で、語ってきたことを知っているからその口から出る「辞める」という言葉に妙に傷ついてきたのだ。
なぜ、そんなに大好きなものを「辞められるのか」と。

やればいいじゃない。
好きにすればいいじゃない。
もとより僕らはそうだったのだから。
誰に求められたわけでもなく、勝手に歌い始めたのだから。
僕らは楽器を手に取り歌った瞬間に、もう目的を達せられる、非常に幸運な人生を歩んでいると時々思う。
歯を食いしばって理想を追いかける姿は美しいけれど、大好きなものに向かっているその瞳の輝きにこそ人は魅せられる。
いや、人を魅了する必要もない。
他人や世間を無視して勝手に歌え!描け!演れ!語れ!
それを恐る恐る表出して表現した瞬間、僕らは少しだけ一人じゃなくなる、それを「なんかいいな」って思う誰かが必ず現れる。
やりたいことをやるっていうのはそういうことなんだ。

多くの人に喜ばれるビジネスは素晴らしい。

ゼロからでも爆発できるアートは替えがたい。

命ある限り、理想は捨てない。

傷ついたっていいじゃない、たった一度の人生さ。

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