花にまみれていればいい

最近、ふとしたことでよく父を思い出す。
通夜の夜、葬儀場に泊まり母が寝静まってから、残った家族で父の遺体と記念撮影をした。
父は死化粧で誰だよって感じの顔になっており、それを囲んでみんな笑顔で。
家族写真撮っとかないとって思い、皆に提案した。
その写真を先日見返して、アホか自分はと我に帰り、遺体と記念写真撮るという行為を思い返し、ものすごい違和感に襲われた。
こんなことしてよかったのかな、自分はおかしいんだろうかって、そういえば、家族の遺体と記念撮影なんて、知り合いから聞いたことないわ。
自分は異常なのだろうか、あの時が異常だったのか。

でも今考えても、父の肉体があるうちに一緒に写真は撮りたかっただろうし、過去に戻れても多分撮るだろう。
父が見てたらふっと鼻で笑って、ニヤニヤとウイスキーに口をやるに違いない。

自分が一番落ち込んだ時、父に電話したことがあった。
電話口で声を聞いた途端に泣き崩れてしまい、
それから4、5分ほど話した後に
「新山口まで迎えにいってやるからいつでも帰っておいで。ぜったいに早まるなよ」
と言われた。
「早まるな」と人から言われたのはそれきりで驚いたし(笑)、家を出てからの子供らのことは基本放任だった父が、そこまで踏み込んだことを言ってくれたのが嬉しかった。

昨年末、同級生の忘年会で実家に帰り、空港まで送ってもらう車で
「お前は自分で選んだ道でちゃんと自立してすごいな」
って、柄でもないガチ褒めをされ(いつもは収入低くないかとか、これからやっていけるのかとかしか言われないからw)、別れ際には「なんか困ったことがあったら言えよ」とこれも柄でもないことを言われて、むず痒いやら嬉しいやら赤面で帰路につき、父と直接話した言葉はそれが最期になった。

最近好きなウェブ漫画で「亡くなった人の話をすると、その人の元に花が降る」というようなセリフがあった。

死んだら人はいなくなる。
父の遺体はもう父じゃない。
骨にも父は宿ってない。
墓にもいない。
家にもいない。
もうどこにもいない。
でも、お父さんの話をするとふと涙が出る自分に気づくと、やっぱり大好きだなぁ会いたいなぁと、どこかにいるんじゃないかなぁと考えてしまう。
お父さんが花まみれになって、好きなウイスキーを飲ってくれてたらいいなって、泣いてもいいから思い出話もしようかなって、思うようになった。

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